和風建築の外観が魅力♡世界遺産【旧五輪教会堂】in 久賀島

☆福江港13時発【五島列島キリシタンクルーズ】の時間までは、福江港ターミナルビル内にある浜口水産で『五島ばらもん揚げ⇒あじ・きびなご・さんまなどを練りこんで揚げた』『海ぼうず⇒あじ・きびなご・かつおなどを練り込んだメンチカツ。串に刺さって丸いの2個。』などを購入。すぐ食べれば、まだ温かく、ビールのお供に最高でした。
また並びの店では、名物の『鬼鯖寿司』1本1600円を購入。翌日の船移動の際に軽めのランチとして食べました。これが全て絶品で、いい買い物をした、と皆口を揃えて大満足でした。

☆キリシタンクルーズの受付は、福江港ターミナルビル内の五島自動車観光課の窓口です。

☆福江港(13:00発)こちらの船(海上タクシー)に乗り込みます。
曇り空の天気ではありましたが、海は穏やかで、一安心。船の中ではガイドさんがマイクで色々説明してくれていたらしいのですが、船のエンジン音で、ほとんど聞こえず、睡魔に襲われつつ、約30分後、最初の目的地、旧五輪教会堂に到着。着岸する前に、船を止めて海からの写真を撮る時間を作ってくれました。灰色の屋根がソレです。↓
旧五輪教会堂は浜脇教会の建て替えを機に五輪地区に譲り受けたものです。1881年(明治14年)に浜脇教会として久賀島の浜脇に建てられたものが、1931年(昭和6年)に現在地に移築されました。旧五輪教会堂は以後約50年間、五輪地区と蕨小島の信徒たちの信仰のよりどころでしたが、老朽化のため1985年(昭和60年)すぐそばに五輪教会が新築され、教会の役目を終えました。右手に見えるオレンジ色の屋根が五輪教会です。↓
役目を終えた教会は、解体の話もありましたが『貴重な文化財として価値ある建造物を守ろう』との関係者の熱意と地元信徒たちの協力によって解体の危機を乗り越え、当初の姿で保存されることになりました。建物は福江市(現五島市)に寄贈され、市の維持管理のもと、一般公開され現在にいたっています。五島に現存する教会堂としては最古の教会堂です。この日は地元小学生たちの写生会と重なったみたいで、教会を取り囲む子どもたちの間を縫って、中に入りました。観光客が沢山いたら、げっ!!となるけど、子どもたちと教会の風景は、ほのぼのしてて、和みました。建物は創建時の形態をよく伝えていますが、移築の際には正面玄関が付加され、祭壇背後の下屋も拡張された形跡がみとめられます。木造瓦葺平屋建、窓がポインテッドアーチ型である点を除けば、外観は一見全くの和風建築です。窓が引き戸(障子や襖のように左右に引き動かして開け閉めを行う扉のこと。)というところに『和』を感じすぎて大興奮。
内部は三廊式、板張りのリブ・ヴォールト天井による空間構成、
ゴシック風祭壇など、本格的な教会建築様式となっています。当時の教会建築の様子を知るうえで、歴史的に貴重な建造物であり、1999年(平成11年)5月13日、国の重要文化財に指定されました。 旧五輪教会堂がある久賀島の集落は、潜伏キリシタンが五島藩の開拓移民政策に従い、未開拓地に移住して自らのかたちで信仰を続けた集落です。外海地域から久賀島へ移住した潜伏キリシタンは、在来の仏教集落から離れた場所を開拓して集落を形成する一方、農業や漁業などの作業をともに行うことで仏教集落との住民とも互助関係を築き、密かに自らの信仰を続けました。「信徒発見」後、久賀島の潜伏キリシタンは密かに大浦天主堂の宣教師と接触し、信仰を告白するとともに教理の指導を受けました。宣教師との接触により久賀島の潜伏キリシタンは公然と自らの信仰を表明するようになったそうです。しかし、1868年に五島列島一円で弾圧が行われ(五島崩れ)、久賀島では狭い牢屋に多数の潜伏キリシタンが監禁され、42名もの殉教者が出ました(牢屋の窄事件)。久賀島はキリスト教解禁の直前に潜伏キリシタンへ弾圧が加えられた最後の場所であり、牢屋の窄事件が起こった場所には殉教者を弔うための聖堂と記念碑が建てられ久賀島のカトリック信者にとって今なお禁教期の記憶の場所となっています。島内の集落には、禁教期から続くキリシタン墓地も残され、また解禁後は各集落に次々と教会堂が建てられていったそうです。
今回はキリシタンクルーズツアーによる旧五輪教会のみの見学の為、久賀島を訪れましたが、いつかのんびりとこの島を周ってみるのもいいなぁと思いました。そういえば、正面の木は桜の木でした。(↓桜の枝)
桜の開花時期に合わせるのはかなり難しそうですが、旧五輪教会堂と桜の景色、想像するだけでもワクワクしてきます。

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