風神雷神図や双龍図、枯山水式庭園に癒された【建仁寺】

やって来たのは【建仁寺(けんにんじ)】京都府京都市東山区にある、臨済宗建仁寺派大本山のお寺です。臨済宗のお寺には「京都五山」「鎌倉五山」と呼ばれている寺院の格式があります。この建仁寺は、京都五山の序列の第三位であり、京都で最古の禅寺でもある歴史と風格を持つ寺院です。建仁寺は、栄西によって1202年に開かれました。栄西は宋で学問を修め、帰国後は博多聖福寺、鎌倉寿福寺で禅法を行いましたが、京都に寺を開くことを望み、鎌倉幕府将軍、源頼家の力を借りて、この地に建仁寺を建立しました。南北朝時代に入り、建仁寺は五山の第三位に列位され、五山文学活動の中心的存在となりました。栄西は、宋からお茶を持ち帰った人物としても知られ、「茶祖」として、千利休をはじめ茶道に関わる人々から尊崇の念を持たれてきました。建仁寺では、古い禅宗の規則ともいうべき清規に基づく茶会が今に伝えられ、禅が宋からもたらされた時代そのままの様式で行われているそうです。

拝観入り口の本坊。
こちらは、国宝である俵屋宗達(たわらやそうたつ)の「風神雷神図(ふうじんらいじんず)屏風」の複製です。
江戸時代の1765年に建てられた法堂(はっとう)には、このお寺のご本尊である釈迦如来座像が祀られています。そして、この建物の天井に、その大きさ、畳108畳分という、見事な双龍図が描かれています。
これは創建800年を記念して、2002年に日本画家の小泉淳作(こいずみじゅんさく)により描かれました。
下の写真の建物は、重要文化財の方丈(ほうじょう)です。方丈は室町時代の建物で、元々は広島の安国寺にあり、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)により1599年に移築されました。
下の写真は、方丈の前庭である枯山水式庭園の大雄苑(だいおうえん)です。中国の百丈山の眺めを模して造られたと言われています。百丈山の別名が大雄山であることから「大雄苑」と名付けられました。

↓こちらは本坊の中庭である枯山水式庭園の潮音庭(ちょうおんてい)です。「潮音庭」は、大書院・小書院に挟まれた中庭。南北の書院、東西の渡り廊下の四方から眺められることから“四方正面の庭”とも呼ばれています。
庭の中央に置かれた三尊石は、法堂に祀られている三尊仏を見立てたもの。脇の座禅石と植栽で、島と海を表現しています。植栽には、ヤマモミジやドウダンツツジ等が用いられ、青もみじ、紅葉の頃は、一層の魅力を放ち、枯淡ながらも、閑雅な趣きも感じられる庭です。
↓こちらは小書院の中庭である枯山水式庭園の○△□の庭です。2006年に北山安夫に作庭されました。もともと「○△□」の図形は、禅宗では宇宙の根源を表現する形とされています。この庭では、○は中央の木、△は庭の隅、□は井戸を表しています。
↓こちらは方丈の裏手にある霊照堂(れいしょうどう)です。建仁寺は、禅宗寺院でありながらも、開放的な雰囲気です。
本坊と方丈内の部屋の殆どが開放され、畳の上で寛ぎながら(寝転ぶことは禁止)襖絵や庭園をゆったりと鑑賞することが出来ます。

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