お家騒動の【西本願寺】&【鴨川】の見納め

工事中らしかった【西本願寺】正式名称は「浄土真宗 本願寺派 総本山」です。豊臣秀吉の京都市街経営計画により、天正19年(1591年)に現在の場所に寺院を設ける事となり、文禄元年(1592年)に阿弥陀堂・御影堂が完成しました。本堂の阿弥陀堂をはじめ、敷地内の建物はほとんどが国宝に指定されていて、世界遺産には「古都京都の文化財」として登録されています。
近くには5筋挟んで【東本願寺】(←徳川家康が建てた)がありますが、なぜ「東」と「西」に分かれているのかというと、それは「跡継ぎをめぐるお家騒動」の結果なんだそう。文禄元年(1592年)、当時の龍谷山本願寺(後の西本願寺)の11代目住職 顕如の亡き後の跡継ぎ問題が勃発し、時の将軍豊臣秀吉は、遺言に従い、三男の准如(和睦派)に10年後には住職を継がせるよう、臨時住職であった長男の教如(抗戦派)に申し立てます。教如は秀吉の10か条の申し立てに納得していましたが、黙っていなかったのが抗戦派の取り巻き達。ついに秀吉の怒りを買い、即刻追放されてしまいます。 隠居生活を強いられた教如は、かつてから徳川家康との交友があったため接近。慶長7年(1602年)に家康から烏丸七条に寺地を寄進され、ここに所謂「東本願寺」を建立しました。この年から現在に至るまで浄土真宗の2大総本山が現京都駅の程近くにできたのです。 「浄土真宗 本願寺派(西本願寺)」「浄土真宗 大谷派(東本願寺)」となっていますが、11代目までは同じ思想で同じ釜の飯を食べていた訳ですから、宗祖は共に親鸞聖人で、言い回しや祭壇の飾りつけ等に微妙な違いはありますが、宗教的思想にほとんど違いはないそうです。
大きなイチョウの木がありました。塀の向こうに、それとわかって可愛かった。秋の京都を巡る旅、最終日、天気に恵まれ、絶好の自転車日和。旅の間、何度も行き来した鴨川。見納めです。

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